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2005年 09月 21日
男友達の結婚式に参列。この夏3回目の結婚式。
郊外での結婚式だったため、バスと電車を乗り継いで最寄の駅まで行った。迎えにきてくれたのは友人のお兄さん。面長で茶色の髪、緑の目で背が高い。「全然似てないんだね!」というと「そうかな?」という反応。 彼のうちにつくと、家の中はごった返し。親戚一同が狭い家に集っていた。私はすぐに家族の人と一緒に教会へ。披露宴も教会の中でやるということで、教会のキッチンでは日本からきている花嫁の家族があたふたとし準備をしていた。 彼は10年来の友達だ。去年、MBAを取った後日本に行き、そこで昔から知っていた"友達"と同居することになりそのまま結婚。彼が誰かを口説いているのを見たり、彼女がいたりという話は一度も聞いたことがなかった。いつもとてもおとなしく礼儀ただしい。でも勉強も運動も出来るフットボール選手だったよう。(Peteに会ったことがあり話があっていた様子。)その彼が結婚式の教会の壇上で、花嫁に"熱烈な"キスをしていたのでものすごく意外な気がした。 やたらと同じ年齢位の親戚が多い。StepSonという話も聞こえたので、一体誰が友達と完全に血が同じ(つまり両親が一緒)なのか聞いてみた。みんな、という答え。一体どう言う意味だろう? 花嫁に同じ質問をする。「あ、彼は養子だから誰とも血はつながってないんです」 養子??そんなことは聞いたことがなかった。シャイな彼がシャイな理由がわかったような気がする。あまり人と打ち解けている様子もなかったし。そういうことだったんだ.....。 よく聞いてみると、そこにいる同じ位の年の人たちはみんな養子で、彼と一緒に育ったようだった。全部で9人。兄弟が一組、3人姉弟が一組。後はみんな血がつながっていない。全て教会を通じて養子に取ったらしい。この他にも彼が一緒に育っていない兄弟もいるらしい。 彼は家族の中で一人MBAまでとったようだった。彼の家族はブルーカラーだ。ヘビースモーカーも多いし、刺青のある人もいる。 養子を取った義父母はなんて寛大なんだろう。敬虔なクリスチャンの鏡のような人たちだ。富を得ようと思えば得る事が出来たはずなのに、その代わりに子供を養子に取りその子達を自分達の稼ぎで育ててきたのだ。 各々の養子にさまざまな心の葛藤があって大変なこともあったに違いない。この義父母の慈悲心にはほとほと感心した。アメリカにはこんなに心の広い人がいるんだ.... ニューヨークにいないと、だめだぁ、自分がなくなる!と自分の事だけを考えている自分が恥ずかしくなった。 幸せになってね.....。 #
by pepecita
| 2005-09-21 04:08
| Story of Friends
2005年 09月 17日
Mathewの日本での契約は暗礁に乗り上げた。日本の企業にMathewの会社がだまされた形だ。だましている先方がこちら側の要求を無条件に飲んだために提携した契約のプロセスが異例の速さで行われたようで、結局この契約は流れる様子。サンフランシスコご栄転の話はこの契約の手腕を買われての話だったので、サンフランシスコ行きもおそらく流れるだろう。
全く働く義務のないサンフランシスコに行けるなら、子育てに専念してもいいかも、と少しは考えてもみた。都会的な文化はなくてもアジア文化は十分にあるサンフランシスコだし、と。彼は実家がニューヨークだから、遊びに戻ってくるのも宿はあるし、なんて、本当に適当に都合よく考えていた。 でもボストンに行くつもりはない。 昨日、前回彼が日本出張したと時に紹介した友達から携帯メールが届いた。今、永田町できれいな女連れのMathewとすれ違った、と。その女というのが日本人なのか、それともそうでないのかはわからない。でも仕事のパートナーなら”女連れ”と友達が言うような年齢の人ではない。友達は単純に奇遇だと思って連絡してきたのだけれど私はあまりいい気がしない。 10月に日本に行くのにAlexがついてくることはMathewに伝えた。デートしてるだけだし、君が遠距離恋愛をするつもりがないのがわかってるから、僕らはパートタイムだ、と言われたところ。これは私には意外だった。遠距離でも真剣に付き合おうといってくるかと思った。彼も離婚経験があり、人を変えることは出来ない、ということはよくわかっているから私に無理は言ってこない。そして、自分の中で問題を解決しようとする。 私にしてみても他に何とも言いようがない。だって、本当に遠距離恋愛なんてやる気がない(というか出来ない)のだから。じゃあ、私たちは何をしてるんだ!当初の予定通り....Just dating! Good bye, summer! Welcome new men and fall! #
by pepecita
| 2005-09-17 01:20
| Date
2005年 09月 16日
オニオンのシステムがかわってしまった。メンバーにならないと写真付きの人を存分にサーチする事が出来なくなってしまった。1回あたりのサーチ出てくる人数は50人ほどしかない。50人の写真を見たって,その中にメールが送りたくなる人がいる可能性はかなり低い。やめたるーーーと思ったけれど,驚いた事に60もの人にメールが送れる位クレジットが残ってる。私は一体いくら払ってクレジットを買ったんだっけ?
60人に送れるのに送りたい人がいない。一体どうやってこのクレジットを使い切るか.... 友達は励まし合いながらMatchを使っている。嫌になってやめるというのを避けるためでもあるかもしれない。 男探しにはほんとにつかれたなー。毎日まっすぐ家に帰った日にゃー、わたしはオンラインで男探ししかしていない。趣味は....オンラインの男探しかも。いや,これは嫌々やってるから,趣味じゃないな,これは義務の範疇に入る。 #
by pepecita
| 2005-09-16 12:22
| Date
2005年 09月 12日
私の趣味はXXXです。....って私の場合は何だろう?趣味とは...専門でなく楽しみとしてする事,だそう。(Gooのオンライン辞典より)そうしたら楽しみでする事は全て趣味なのか。
楽しみでやる事---ぼーっとする事、読書,掃除,ダンス,食べ歩き,園芸,アクセサリー作り,フラワーアレンジメント,植物、オペラ、音楽鑑賞、日記書き。こんなもんか。でも、この定義は違うなぁ,と思う。楽しまないであえてやりたい事なんてあるんだろうか。楽しくなくてやらなくちゃ行けない事ならたくさんあるけれど。ぼーっとする事なんて趣味のはずがないし,嫌いなテレビだって時々は見る。じゃあテレビ鑑賞も趣味?男探しとかセックスとかも趣味?違うでしょう、それは。この定義は間違っている! Mathewは先週日本に出張した。急遽決まった出張で,またまた片道チケットが4000ドルだと言っていた。母親に顔が恐くて背が低くてはげでだけれど、性格は悪くなく,お金を持ってる人にサンフランシスコで一緒に子育てをしよう,といわれた,と言ったら、喜んで東京にいる家族のものに会ってもらいなさい,など言っていた。なぜ喜ぶか。この身勝手な人は,日本から行き易いから,というのが理由だ。私の事はあまり考えていない様子。 それじゃあ,聞いてみるか,と思ったけれど。 ミッドタウンの本屋で本をあさり,GemStoneを買い,サンダルのかかとがつぶれたので,途中で直し,ふらふら秋物の洋服をチェックした後,スタバのカフェラテを手にマディソン街をしばらくウィンドウショッピングしながら,セントラルパークへ。大きな並木にざっと並ぶベンチに腰掛け本を読みながら,人間ウォッチング。左からは中国人の胡弓が聞こえ,右からはローラーダンスのための80’sの曲が聞こえる。それに飽きて帰ろうと,SheepMedowを横切ると、トンボがたくさん飛んでいた。はえのごとくブンブンと。そこでトンボを捕ろうとしていた青年と少し話す。公園を横切って西側に出て、アクセサリーを見ようとブロードウェイまで歩いた。リンカーンセンターにテントが見えたので,いってみると、たまたまクラフトショーをやっていた。ここで友人にばったり会い,少しおしゃべりしてから1時間ほどかけて,アクセサリー,スカーフ,絵、食器などの店を全て見てまわった。 私にはこれといった趣味がない。ニューヨーク巡りが趣味なんてあほらしいけれど、新しいもやきれいなもの,変わったものが歩いているだけで見つかる、私はこれをしてるだけでものすごく満足だ。 こういうことは田舎では出来ない。つまり,サンフランシスコでは出来ない。Mathewは東京に3週間もいたら自然がないから病気になるという。そんなものいらないよ,私は。私は東京で育ってニューヨークに住んでるもっぱら都会の人なのだ。車で移動するなんて大嫌い。 つまり,答えは出たようなもの。私はサンフランシスコには行かない。つまりMathewからの提案にはNoという答えしかないだろうな,と思う。 #
by pepecita
| 2005-09-12 05:20
| About Me
2005年 09月 11日
クラブに行ったのはいつ以来だろう??たぶん、1年ぶりだ。
サルサの好きな離婚調停中の友達とストレス発散のためにサルサを踊りにいく!というのが当初の目的。 まずはダウンタウンにあるRemyLoungeへ。ここの名前は10年くらい前から知っていたけれど,一度も行った事がなく,とうとう行ってみたという感じ。マンハッタンの南のはて,グラウンドゼロから1ブロックにあった。入場無料のこの店は,しかし....終わってました。サイトを見る限り,すてきな感じだったのに。5分もいないで出てくる。次はNohoのレストランGonzalez y Gonzalez。ここはレストランの奥で生バンドの演奏があり踊る事も出来る。けれど,混み過ぎ。12時過ぎにカウンターで夜食。やっぱり大御所しかないんだろうか,と今度はCopacabanaへ。ニューヨークの15%がラテン人というから100万人以上のラテン人 のお金のある誰かがここへ遊びにきている感のある, 9割以上がラテン人の店。ただしフロアーは大きいし,ライブバンドはあるし,コパガールというスタイルがよくて踊りのうまい数人が小さなお立ち台でペアダンスをしていたりする。ただ,時間が遅かったせいか、外で列を作っている数が断然少なかったのと,ボンレスハム状態とも思えるもろ肌を出した,今日だけはがんばってます,のラテンのオネーさんもおらず,おかしい,やめた方がいいかも,と今度はまたダウンタウンに戻った。サルサはもう期待できない。他にはLQがあるけれど、LQは東側で,その上まだ上らないと行けない。 ミートパッキングエリアは夜中1時過ぎとは思えないほど人であふれていた。この界隈に昔からあるバーは既に客足が絶えているのにGansevoort Hotelの屋上のバーともう一つ新しそうなクラブは長い列。一時期はやったCieloやLotusも閑古鳥だ。結局少しだけ列が出来ていたAerに行く。 ここで10人以上の人に声をかけられ一緒に踊ったりしたけれど。それが何だってーのよ,と思ってしまった。友達は”出会い”ということに誠実で、一緒に踊った人の名前や職業など聞いて...インベストメントバンカーや大手会計事務所で働いている人と仲良くやっていた。クラブに来る人なんてまともじゃない,と思っていた訳ではない。みんな若そうという訳でもなく,単純に、いい男がいなかった,という事。かなり暗かったからかもしれない。 しかし,私は思った。私ったら四捨五入したら40なのにこんなとこで何してるかな,と。 帰ったら4時半だった。お肌に悪い。 #
by pepecita
| 2005-09-11 01:32
| Date
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