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2005年 06月 23日
会社の机の目の前にぶら下がっているカレンダーの日付けに時々丸をつけている。丸がついた日は6時に会社を出た日。なんだか今月は少ない、と思って丸を数えてみたら、実働15日中8日に丸がついていた。半分強だ。ついでに過去半年のカレンダーの丸も数えてみたらやっぱりこんなもの。
アメリカではパートタイムや労働組合員は時給で働くけれど、通常は年俸制で残業しても残業手当がつかず、時給がどんどん下がることになる。 今の仕事は大転職の末に得た。全く違う業界、全く違う職種。営業から営業企画へ。営業とついても今やっている仕事は数字を追いかける仕事で、レポート提出や数字分析がほとんど。3年前に転職してからつい半年くらい前まで毎月の残業時間は60時間ほど。帰宅は平均して9時。時には12時を過ぎることもあった。 元夫のJoseは私が家に帰ってこないことを苦々しく思っていた様子。(家に帰ってもすることがないので会社にいたというところも多分にあるけれど)でも、Joseが出て行ってからも同じように会社に残っていた。 それには、日系企業の典型的な体質があったと思う。今仕事が減ったのは単に余計なことをしなくなったから。余計なこととは日系企業では当然のこととして現地採用日本人女性がやらなければいけないような類の仕事。極端な話をすると、コピー取り、消耗品発注、出張の手配。これは秘書がいる人は秘書が、いない人は自分でやるのがアメリカの会社ではあたりまえ。(Secretaryというのは一般的に学歴のあまりない人がやる雑務のようなもので、給料はおそらく4万ドルが上限) 私は秘書ではない。 雇われた時に渡されるJob Description(仕事の内容の詳細)に含まれないことはやる必要がない。仕事内容の記述の仕方ががあまりにも大雑把ですべてやるということにもなりかねないけれど、基本的には自分の仕事はこれ、といえるもののみやっていればいいのである。 それが日系企業の悪い所で、誰にもふれない仕事は概して私にきたし、部の秘書がいるのに消耗品発注を頼まれたりした。(そんなことしても私は彼女に頼むだけですよ、というと、じゃあ頼んで、といわれる。違うだろう!!自分で直接頼め!) 最初の1年は慣れずに自分がトロイために残っていたと思う。でも後の1年半は余分な仕事をしていたための残業だった。この余分な仕事というのは決して駐在員から来るものだけではない。仕事はやる人のところに集まる。駐在員以外の社員も困ると私のところへ来た。相談を聞いて「あーだったらやっておくから、置いといて」と何度言った事だろう。上司に貸しを作るのはいいけれど、同僚に貸しを作っても何の得にもならない。だから、今では誰かが来ると話だけは聞くけれど、「それはXXXが詳しいから、彼に聞いて」と言って振る。XXXの仕事をやってあげても私の給料は上がらない。時間がなくなるばかり。 1年前Peteが旅行に行こうと何度も誘ってくれたけれど、休みが取れずにいつも延ばし延ばしにしていた。そして、平日に彼に会うことも至難の業だった。今は...休みは権利だと思うし、残業は間抜けな人がやることだ、年俸制の会社で働いているのなら、と思う。 でも...誘ってくれる人はもういない!!
by pepecita
| 2005-06-23 04:18
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