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2018年 09月 02日
2日目。朝はJoeの家に遊びに行った時に作ってくれたシャクシュカという料理を食べる、と店を探して歩く。朝ごはんにシャクシュカがないと言う選択はないらしく、朝から空いている店にはどこにでもあるようだった。
朝食後、何する?と言うけれど、Joeと一緒なら何してもいいか、と下調べを何もしていなかったのでアイデアゼロ。まず、海に行こうと部屋の前のビーチでパラソルと寝椅子を借りて2時間ほど飲んだり泳いだり寝たりしていた。午後は自転車を借りてヤフォオールドシティーまで。自転車に乗る時に足を思い切り荷台にぶつけ、弁慶の泣き所に痛くはないものすごい大きなコブができてしまった。海辺はまっすぐでどこにでも自転車のドックがあるのはわかったけれど、オールドシティーでは止める場所が簡単には見つからなかった。かなりぐるぐる回ってオールドシティーの入り口にようやく止める場所を見つけた。石でできた街を上がって、一番上の教会を横目に見て、緑の広場で写真を撮り、すぐおりて来た。店などはあまりなかったけれど、本当はもうちょっとウロウロしたかった。何があるところなのかさっぱりわからなかった。。。。 丘を降りてから暑すぎたのと、足のコブを冷やさないと、と思いレストランを探した。でも変な時間でどこも空いているけれど、営業をしている感じがない。店も何やらしまっているような。。。。(夢見ないのに変じゃんといわれたけれど、ここでデジャブあり!それはアンティークの店だった)またぐるぐる回って、結局最初に見つけたイタリアレストランへ。Joeはまたビールを、私は白ワインを飲んで、氷をもらって足を冷やしていた。この後また自転車で戻ったけれど、、、、実はかなり酔っ払っていた。まず、自転車を借りる場所を探していた途中で白いMalabiというお菓子を買い食い。(私はインビザラインをしているので間食は普段一切しないのに)Joeも喜んで食べていたけれど。なんでそんなに早く自転車を漕ぐんだ!と言われたけれど、Joeがいることも忘れて周りが見えないくらい酔っ払って一生懸命自転車を漕いでいたというわけだ。 夕食。Joeが今まで食べたタイ料理の中で一番美味しいと言っていたのに。。。。私は具合が悪くなり、それを隠してほとんど何も食べなかった。レストランはすごく混んでいて、もし予約してた人が来なかったら、座れるので10分ほど待て、と言われた。そこで待っている間、立っていられないくらい具合が悪くなり。気持ちが悪くて水が欲しいものの、誰も持って来てくれないので、自分で水を取りに行き。幸いテーブルは空いたけれど、席に着いたらすぐにトイレに直行。そこで吐こうとしたものの、基本吐くことができない私なので、それはできず、多分数分便座の上で寝ていた。Joeに何にする?と聞かれたけれど、なんでもいい感じ。そして前菜が来たけれど、少し食べたら辛くて食べ続けられなかった。メインのカレーも来て、Joeが私のお皿に入れてくれたけれど、気持ち悪くて一口食べた以外残した。(結局彼が全て食べた。食べ過ぎだよ。。。。) でもさすがに飲んでから2時間もしたら普通に戻って来て、夜にお腹が空いて、どれだけ後悔したことか。。。。そんな美味しいタイ料理を食べ損ねたとは。 次の日、私はずる休みをするために、アメリカ時間の朝6時頃に同僚と上司にメールを出した。早起きをしたので、そのまま海へ。Joeも起きる、と言っていたけれど、全く起きる気配がなかったので、一人で行った。遠浅の海をどんどん歩いたけれど、結局足がつかないほど深くはならず、結局腰まで浸かって戻って来た。朝の海は老人が多かった。そして、足でするバレーボールをする人たちが7時前にはスポーツに興じていた。そのあと塩漬けのまま、イスラエルの街を散歩し8時頃部屋に戻り、またシャクシュカを食べに一緒に外に出て、そのあとすぐに帰路についた。 とても親切なイスラエル人パーサーが手配してくれて、時間がかかると悪評のイミグレーションと荷物検査は全てクルーと一緒にやり、ものの15分で両方通過。ゲートでは2日前にレストランで一緒だった人とおしゃべりして過ごし、帰りの飛行機の中では映画を3本見た。Joeが2回、席まで来たけれど。。。私の席の前はかなり大きなスペースが空いていて、そこで後ろに座っていたイスラエル人家族がピクニックをしていて私の近くには来れなかった。(いくら広いからって、やめてほしい。。。座っていた子供が席をどんどこ蹴るし。実は私の目の端に彼は映っていたけれど合図はしなかった。後で聞いたら、行ったけれど、私はずっと寝てた、と彼は嘘をついた。なぜ?) 飛行機は予定通り夕方にニューヨークに戻った。私はじゃあ帰るねと彼を空港に置いていったけれど、結局Joeの飛行機は機械故障でそれから7時間も後に出た。疲れているのに横になれず、寝たら誰も起こしてくれないうちに飛行機が出るかも、と気が気でなかったらしい。今後もし乗り継ぎがうまく行かない可能性があるときは私の所に泊まって次の日に帰ることにする、と言っていた。結局、家に着いたのは夜中の3時だったよう。帰りたかった理由は珍しく息子達が大工仕事を手伝うといってくれたからだと後で聞いた。(結局、息子達より、息子が連れて来た友達の方がよく働いてくれた、と言っていたけれど!)
by Pepecita
| 2018-09-02 00:15
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